画像で綴る 「東部ドイツ&中欧の古都 旅行記 」
その2
07/5/9〜5/18
*ドレスデン
ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都でありエルベ川の谷間に位置している都市である。人口は490,000人(2006年)。第二次世界大戦の爆撃で「エルベのフィレンツェ」から廃墟の町へと変わり果てたドレスデン。2002年夏の洪水によりドレスデンも大きな被害を受けた。
文化と芸術は人々の中に生き続けて、復興された建物が強く印象に残りもう一度ゆっくり訪れてみたい都市の1つになりました。「ブリュールのテラス」といわれる遊歩道からの眺めは、ヨーロッパのバルコニーとも呼ばれているそうです。車窓から見えて来た際の興奮度は最高度に達し、今回の旅程の中、マイ ベスト1。
「ブリュールのテラス」
ザクセン選帝侯の宮廷都市として繁栄を誇ったドレスデン。代々のザクセン選帝侯は、12世紀末からドレスデン城に居住していた。この城のアウグスト通り沿いの外壁には歴代君主たちを描いたおおよそ100メートルにわたる壁画「君主たちの行列」がほぼオリジナルの状態で現存し、マイセン陶器で作られています。
中でも艶福家としても有名なアウグスト1世はザクセン王国史上、最も有名な王で、アウグスト強王・豪胆王と呼ばれています(おおぜいの愛妾もいて、彼女たちに子どもを山ほど生ませ、その数360人!とも)。華麗なドイツ・バロックのツヴィンガー宮殿、中国趣味のピルニッツ宮殿など、数々の美しい建造物を造営し、ザクセンを中欧の強国に押し上げました。
「君主たちの行列」
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「ツヴィンガー宮殿(Zwinger)」
後期バロック様式によるはドレスデンを代表するドイツ バロック様の代表格建築となっている1710〜32年に建築家、ゲッぺルマンの作。
photo by 梅隆(深窓氏のペンネーム)
またツビンガー宮殿では、広島の原爆ドームに似たガラス屋根のドームを見ました。原爆ドームは原爆被害の象徴として痕跡のまま有り続けていますが、チェコ人の建築家ヤン・レッツェル(Jan Letzel, 1880年-1925年)によって設計され、ネオ・バロック的な骨格に細部装飾を持つ混成様式の建物。そう、同じ建築家の設計だったのです。同じ建造物のある両都市の悲運の歴史に胸が詰まりました。
日独は同盟国として英国と米国に寄って爆撃を受け降伏。これらの歴史的建物を前にして厳粛な気持ちで祈りを捧げました。戦争だけは嫌です!!
*参照;原爆ドームは原爆の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、一方では「悲惨な戦争を思い出すので撤去すべき」などの意見もあり、その存廃が議論されてきた。1966年広島市議会が永久保存することを決議し、風化を防ぐため定期的に補修工事が行われている。
1995年史跡に指定され、さらに翌1996年12月5日には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定された。最近では立ち入り禁止区域に入っての落書きなども問題になっている。また、2004年以降、原爆ドームの保存方針を検討する「平和記念施設あり方懇談会」が開催され、博物館に移設する、屋根をつける、などの議論も出たが、2006年に今後も原状のまま保存する方針が確認された。(ウキペディアより)
第二次世界大戦では徹底した爆撃にあい市内中心部は破壊され、ソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となり、ライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展、近年では観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せており、1990年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が一層推進されつつある。
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「旧宮廷教会」
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この教会の地下にアウグスト強王の心臓が銀製の小箱に入れられて安置されているそうです。 屋根の上には78体の聖人の石像が見えます。
*参照「ドレスデン大空襲」(旧東ドイツ ドレスデン市)
『北のフィレンツェ』と称されたエルベ川の水路を利用して発展した商業都市です。第二次世界大戦末期、1945年2月13日夜から翌日にかけて英国を中心とする連合軍によってドレスデンは大爆撃、大空襲に見回れました。その爆撃の歴史的シンボルともいえる聖母教会(フラウエン教会)。建物内部の火災は続き、二日後の15日の朝、支柱が崩れ巨大な屋根を支えきれなくなって建物全体が崩壊。
戦後、ドレスデンは復興しても聖母教会だけは大空爆の象徴的存在として旧東独時代を通じ半世紀もの間瓦礫のまま。そして廃墟のまま放置されていた瓦礫の堆積のままの状態で放置されていた聖母教会(Frauenkirche)の再建には、世界中から182億円もの寄付が集まり、2005年10月に工事が完了。瓦礫から掘り出したオリジナルの部材をコンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業は「ヨーロッパ最大のパズル」と評された。新しい部材との組み合わせがモザイク模様を描き出しているこの建物は、新しい名所となっている。
「聖母教会(Frauenkirche)」
ドイツ最大のプロテスタント教会で、直系25mの大ドームを内部見学で見ることができました。内部にて手持ちの数ユーロを寄付してキャンドルを灯し祈りを捧げました。
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「聖母教会前の広場に建つ マルチン ルター像
この爆撃現場の歴史的広場を保存するべくイタリアの大富豪がこの場所を買い取っているとか。世界にはそういうことが出来るお金持ちがいるのですね。
音楽はザクセン侯宮廷の傾向を反映して、古くからイタリアの影響を受けてきた。17世紀ドイツにおける音楽の中心地のひとつであった。モーツァルトもまたドレスデンで作品の初演を行っている。オペラ座、通称ゼンパー・オーパーは新古典主義建築の代表作としても知られ、オペラ座のオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデン(「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と呼ばれることも多い)は、最古のオーケストラとして知られている。ドイツ鉄道ウィーンからドレスデン間の夜行特別列車「ゼンパーオーパー」はこの劇場の名にちなんだものだそうです。
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「奥に見える緑の華麗な建物がゼンパー・オーパー」
「アルテ・マイスター(Alte Meister)絵画館」
ザクセン侯の美術コレクションは現在ツヴィンガー宮殿の一角を占めるドレスデン美術館、アルテ・マイスター(Alte Meister)などで展示されている。アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの「システィーナの聖母」が有名。下から見上げるようにして面白い表情の2人の天使の部分だけカットされて絵葉書が出回っていますのでご存知の方も多いでしょう。
レンブラントの自画像
当時のドレスデン エルベ川河畔 1748年
現地ガイドさんがこれを見たいという方は珍しいとおっしゃる『チョコレートを運ぶ女給』 (1744-45 : ジャン・エティエンヌ・リオタール)を見るために5階まで上がられるというKご夫妻の関心に興味を抱きご一緒させていただきました。
品のいい絵。当時贅沢品だったチョコレートをご主人様に運ぶ侍女なのでしょうか。あるチョコレート会社の社長室にレプリカが飾られて居ることからこの絵をご存知だったというK氏。是非ここで原画を見ようと楽しみにしておられたのです。おかげでいいものを拝見することができました。先達はあらまほしきことなり!
そのほかルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されて、ヨーロッパでも重要なコレクションを有する施設のひとつでした!
お目当てのフェルメールもありましたが、アムステルダム国立美術館でも見ていたのでおもっていたほど感動はありませんでした.画のテーマがよく分からない絵でした。
駆け足での鑑賞でしたがポイントは押さえてみることができました.現地ガイドさんの絵画に関する解説が専門的でよかった。おおむねこのツアーにおける現地ガイドさんのレベルには満足。
立ち去り難いドレスデンをあとにバスはボヘミア平原を走りました。行けども行けども緑の地。日本では北海道でしか見られない風景でしょう。
チェコの国民が愛してやまないヴルタヴァ川(モルダウ川=独)が見えて来ました。
*プラハ
プラハ(Praha)は、チェコ共和国の首都であり、同国最大の都市である。人口は、約120万人。北緯50度02分、東経14度45分に位置する。ドイツ語では プラーク (Prag)、マジャル(ハンガリー)語では プラーガ と呼ばれる。英語ではプラーグ (Prague)。
市内中心部をヴルタヴァ川(ドイツ語名 モルダウ)が流れる。古い町並み・建物が数多く残る街である。カレル大学はドイツ語圏最古の大学である。尖塔が多くあることから「百塔の街」とも呼ばれる。ティコ・ブラーエが天体観測を行った天文塔もそのひとつである。市内にはヤン・フスが説教を行ったベツレヘム教会などがある。(ウキペディアより引用)
プラハ2泊のホテルの紹介から始めよう。数棟の建物からなるTOP HOTEL は、国際会議も出来そうな1140室という巨大ホテルだった。ロビーは豪華で、部屋も大きく、こんな大きなバスタブはお湯がもったいないわ〜と思える設備で、シャワールームも別室にもう一つあった。でも食事はこの旅行で泊まったホテルの中でもワースト1(笑)何でも社会主義時代の元、党幹部の宿舎だった建物を改修したものだとか?
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この豪華な夕食会場でしたが。。。
明日の市内見学が楽しみ。夕食のレストランからプラハの日没を見る
翌朝、さあプラハ市内観光に出発です〜!
ランチの会場は最高のロケーションでした。
プラハの春音楽祭の初日にあたるこの日、この1階のスメタナホールでオープニング。1911年に建てられたアールヌーボーム様式の文化施設@市民会館のレストランに皆さんとご一緒した。
ムハ(ミュシャ)のモザイクや、ステンドグラスが美しい。プラハにはアールヌ−ボーのカフェが多い.それを巡るツアーが組めそうだ。
チェコ人のビール消費量は世界一。いま世界で一番飲まれているピルスナー ラガービールの発祥の地である。米国のビールといえば、バドワイーザーだが、このビールのルーツもチェコである。
午前中にプラハ城を見学。
有名な衛兵
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聖ウ゛ィート大聖堂
平日であれば荘厳なゴシック様式の内部(ムハのステンドグラス)を見ることが出来たのですが。。。
旧王宮はチェコスロバキア時代には大統領官邸として使用され、現在も一部が大統領府となっている。
プラハ城のある丘から臨む『百塔の街』 プラハの旧市街
一度渡ってみたいと憧れていたカレル橋にやって来ました!
「プラハ旧市街広場」
カレル橋から徒歩で旧市街広場へ。お目当ての有名な時計台のある広場に到着。ちょうど正午を待って絡繰り人形時計を見ることになりました。。。。みんな正午を待ってます。
出て来ました!
でも〜ムービーで撮らないと、とても!とてもの、あっという間の絡繰り人形のお目見えでした。
プラハの春音楽祭に合わせて、この広場から出発するマラソンが明日開催されるようでその準備中。古都を走るマラソンは絵になるでしょうね。ビッグスポンサーが協賛。
パレードもありました!
石畳の街並み
民芸品の寄木細工
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ブランド店が並ぶ Karlova 通り
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お土産ものの屋台に魔女の操り人形がありましたが、お顔がどれも怖くて。。。手をポンポンと叩くと ウッヒヒ〜と声の出るものもあったのですが。
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ムハ美術館は通り過ぎただけ。あまり好きではありません。クリムトは好きです。
国立博物館
*国立博物館のバルコニーより「プラハの春」 ヴァーツラフ広場を臨む
1968 年のドゥプチェクが「人の顔をした社会主義」を目差した民主化運動「プラハの春」。それに応えてチェコ国民が自由化運動を繰り広げたが、しかしその夏の終わり8月21日未明、侵攻してきたソ連軍による弾圧で、チェコ国民が望んだ自由は叩き潰され多くの犠牲者を出した広場。
*プラハ国立歌劇場
Kご夫妻のお誘いのおかげで思いがけなくもプラハの春音楽祭の初日に
椿姫を見ることができました。この秋にこの国立オペラ劇場が来日の予定です。