[PR]血液型生年月日で運命診断:無料お試しも本格鑑定!

画像で綴る 「東部ドイツ&中欧の古都 旅行記

 07/5/9〜5/18

  その1  ベルリン、ポツダム、マイセン        

表紙に戻る


*関西空港 

5/9午前11時発 フィンランド航空でヘルシンキへ 

はじめてのグループツアーで15年ぶりの欧州にFinn Airで出かけました。一番飛行時間が短いヨーロッパの玄関口の国@ヘルシンキに最短時間で到着。この6月からは関西空港から毎日出るそうです。機内食はシンプルで選択肢もない貧しい食事でしたが(笑)、旅行中に体重を増やさないためにはよろこばしいことだと前向きに考えました。

                     

*森と湖の国フィンランド

トランジットの2時間は売店を見て回っている間にあっという間に時間が経ち、ベルリンまでのフライトは1時間少しでなのとても楽でした。

子どもたちと一緒に見た在りし日の、「ねえ、ムーミンこっち向いて。。。。」昨年亡くなった岸田今日子さんを思い出しながらムーミングッズをいっぱい買いました。

帰路もここを利用したのでデザイン性の高い雑貨やテーブルウエアを買ってもよかったのですが、1ユーロ=170円とお高くなっているので無理をしませんでした。サーモンや北欧食品をなどもここで帰路に買うのはいいかもしれません。
フィンランド(白)とドイツのペンシル(サッカーボール)(昼食)

*ベルリン

ヘルシンキ〜ベルリン ベルリン空港着 18:30

サマータイムのベルリンの夕方はまだまだお昼のよう。

旧西ベルリン側の空港着

ベルリン郊外、シュプレー川沿いに建つマリオット系のホテルに入る。


支配人がお出迎!川遊びをするひとのためのヨットハーバーのあるホテルだったのです。ウッドデッキでいいお天気ならばお茶をしたかったのですがあいにくの小雨模様。

*ベルリン 2日目
                     
午前中はバスでベルリン市内観光に出かけました。 あいにくの雨模様。

現在ドイツでは統一税という税金が課せられ旧東ドイツの復興と支援に使われています。消費税もお高く、生活は楽ではないようですが、それでも今回の旅行に出る前に見た『善きひとのためのソナタ』的な生活から解放され、安心して暮らせる市民生活が出来ることはいいことではないしょうか?

建築ラッシュのベルリン旧東側地域

シュプレー川に建つ現代アートも雨に濡れて(車窓から)

この橋を渡りベルリンの壁があったところをバスで走りました。 「イーストサイド ギャラリー」とは『ベルリンの壁』の一部を残して崩壊後に描かれた壁の痕跡。

ベルリンの壁のあった時代に東ドイツ側を隠しとりされたという方のサイトを見つけました。

http://www.mauer.jp/block/eastside_j.html

壁を越えようとして撃たれた方々のお墓を車窓から見ました。 虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal fuer die ermordeten Juden Europas)」通称「ホロコースト記念碑」。

この記念碑の位置する場所はポツダム広場、ブランデンブルク門の目と鼻の先にあり、ベルリンの中心、各国大使館、各種文化施設、オフィスビル、住居ビル、ティーアガルテン公園に隣接する記念碑。

ベルリン市の歴史的な都市空間や議会・政府地区に位置していることで思い出されるのは、ワシントンDCに近年建った日本人収容政策の過ちを歴史的に記念碑として残すモニュメント。いい場所に建っていましたが、日系のひとたちの涙と汗の結実です。

このホロコースト記念碑も、完成までの道のりはまさに紆余曲折の連続だったそうです。例えば「犠牲者にはロマ、同性愛者といった人々もいるのに、なぜユダヤ人『だけ』に捧げる、これだけ大規模の記念碑を作らねばならないのか」という批判は消えることがなかったそうです。

アレキサンダー広場駅前に立つ有名なテレビ塔

緑の多い大都市、ベルリンマロニエ、菩提樹、リラなどヨーロッパ系の街路樹

ドイツ連邦議会

ジャルダンメンマルクト広場はウイークデーなので人影なし。



旧東側から見たブランデンブルク門

ポツダム広場の近くは有名外国企業が進出。

ホテル リッツ カールトン

いちばんの一番の人気スポットはソニーセンター。
六本木フィルズのようにオフィス、マンションがここに入ってますが、家賃がとてもお高い

エコカーならぬエコサイクル!1 銀閣寺にいるリキシャーと同じく観光用です。

お土産店の庭先にあった分別箱は何と7種!

ぺルガモン博物館
『世界遺産・ベルリン博物館島』の「ペルガモン博物館」を見て来ました。

有名な大理石の祭壇

広過ぎて迷子になりかけましたが、現地ガイドさんの案内は少し離れたところからでも説明を聞くことが出来るイヤホーンガイド付きツアーでしたので、ガイドさんの声のする方に近づいて行くことによって私のグループを見つけることが出来ました。 

  

気持ちのいい朝食@アメリカンスタイルビュフェ人口339万人 

通貨ユーロ 1ユーロ=170円!!ユーロ高に泣かされた旅でした。 


初日の夕食はホテルにて  ベルリンに無事到着 に乾杯!


添乗員さんに連れられて皆さんでいただくはじめてのランチドイツの家庭料理アイスパイン(豚肉の塩漬け)&ザワークラウト&ポテト添え   大きな豚肉の塊にはビックリ 

 参照;アイスバイン(Eisbein) 伝統的なドイツの家庭料理のひとつ。ドイツ料理の代表格。豚肉(塩漬けの豚すね肉)を、タマネギ、セロリなどの香味野菜やクローブなどの香辛料とともに数時間煮込んで作る。ザワークラウトやジャガイモなどとともに供されることが多い。マスタードをつけて食べるのが一般的である。 eisbein という名前は、もともとラテン語の os ischbeen(坐骨)からきた語で、アイスといっても「氷」とは関係がない。(ウキペディアより)


*ポツダム

チャーチル@英、トルーマン@米、旧ソ連@スターリンの3首脳が詰めていた各部屋を見ることが出来ました。スターリンが一番眺めのいい部屋を占拠し、各首脳は会議の開かれた円卓会議のあった部屋以外では顔を合わせないように配慮されていて、別々出入り口を使ったそうです。

中庭から宮殿中央

次は私が楽しみにしていたサンスーシー宮殿を訪れました。

サンスーシ宮殿(独 Schloss Sanssouci)は、ドイツ、ブランデンブルク州の州都ポツダムにある宮殿。「サンスーシ(Sans Souci)」とは、フランス語で「憂いなし」を意味し、日本や中国では漢訳して無憂宮とも表記する。プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて、フリードリヒ2世の命によって建てられた。ヴォルテールが一時期滞在したことでも知られる。フリードリヒ2世の「夏の離宮」として建てられたが、結果的にはここが居城となった。フリードリヒ2世自ら設計の一部を行ない、王の趣味を反映して、こじんまりとした瀟洒な建物である。なおその後、七年戦争後プロイセンの国威発揚のために、近くにヴェルサイユ宮殿を模した大規模な宮殿が建てられた。これを新宮殿と呼ぶ。
1990年に、宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。(ウキペディアより)

        
フランス式庭園が広がるアプローチに胸がわくわく。

葡萄蔦葉は。。。宮殿?それとも庭園?!


階段状のアプローチが葡萄蔦葉のコンビネーションだったのです。今年は緑の季節が例年よりも早く到来したのでこの通りグリーンに覆われた宮殿を私たちは見ることが出来たのだそうです。


                  

   中国茶館

*マイセン 

ザクセン州ドレスデン地方マイセン郡(Landkreis Meiァen)の郡庁所在地であり、人口約2万8千の工業都市である。マイセン陶磁器とワインで有名。
ドレスデンから北西に約25km、ライプツィヒから東に約100km、フライベルクから北東に約40kmの位置にある。チェコ国境の向こう側から続く、エルベ渓谷の終点でもある。

マイセンの名は、929年に初めて文章として記されたとされている。同じ年、皇帝ハインリッヒ世によりMisni(ミズニ)城が創立され、マイセン辺境には1423年頃まで伯爵領が存在していた。
マイセン聖堂とアルブレヒツ城は、マイセンのシンボル的存在。マイセン聖堂は1250年に建築が始まり、1470年にはアーノルド・フォン・ヴェストファレンによってアルブレヒツ城が建てられた。

2002年、歴史ある市の中心部が、洪水により被災。陸上輸送が発達していなかった時代から現在に至るまで、エルベ川は重要な輸送手段である。マイセン─ ドレスデン間を定期運行している蒸気観光船が有名。また、チェコなどからの貨物船が多い。(以上は、ウキペディアより引用しました) 

エルベ川沿いの名陶の街 、マイセンを訪れました。ベルリンからブダぺストまですべてバスで移動でしたが、大型バスにグループ18名だったのでゆったりと座れて快適でした。バスだと腰が高いので風景も高見の見物が出来てショットもいっぱいしました。

     
この沿道には風が強いらしいので風力発電が塔がいっぱい立っていました。投資家が投資しているとか。環境の国ドイツらしい投資ですね。


エルベ川に沿ったお城のある街マイセンにバスは入っていきました。

1700年代からの歴代マイセンブランドの印@手描きで描かれる剣のマーク(陶器の底にあるこの印で制作年代がわかります)
日本語ガイドもちゃんとセットされていることからも日本人観光客の多さがよくわかりました。

マイセン陶磁器のHPによると、約300年前、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」。その繁栄の歴史の裏には、時代の流れや、陶磁器に果てしない情熱を傾けた人々を抜きにして語ることはできない。


17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛されていました。純白で薄んにもてはやく、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だにつくりだすことのできないものであり、列国の王侯貴族、事業家たちはやっきになって製法を見つけようとしていました。なかでもドイツのザクセン選帝候アウグスト2世(アウグスト強王)は東洋磁器屈指の蒐集家であり、アウグスト軍に属する兵士 600人とプロイセンの竜騎兵の壷151個を交換したという逸話も伝わっています。アウグスト強王の情熱によって誕生したマイセン磁器なのです。

工房では写真撮影も可。制作過程を案内してもらえました。
門外不出の製法でマイスターたちによって守られて来た白磁の名陶。


(館内のレストランでランチの食器は当然マイセンでした)  


ヘレンドは少し持っておりますが、マイセンはお高くって手が出ないので、パス(笑)
館内にあるギャラリーはパスして街を少し歩いてみました。

石畳の古い街並を歩くだけでも気持ちのいいものでした。
嬉しいデザインに遭遇しました。


義父、青陽のコクリコ@晶子の皐月の歌!を思い出しGWになると飾っている色紙@若き日の画に通じるデザインが古くからあったのです。       

  参照『君も雛罌粟われも雛罌粟―与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯上下』 (文春文庫)
         渡辺 淳一 (著)


[PR]占いサイトの全てがここに:個別診断で貴方だけの悩みが占えます!