画像で綴る 「東部ドイツ&中欧の古都 旅行記 」
07/5/9〜5/18
*まだまだつづきます。気長にお付き合いいただければうれしいです*
*ハンガリー編
ハンガリー共和国 人口1009万人 国土は約日本の4分の1、国土の大半は平地でオーストリアから向かう東部には広大なハンガリー平原が広がり、ドナウ川が国土の中央を流れている。
ハンガリーはアジア系のマジャール人の国で「一番西にあるアジア」といわれている。比較的小柄で黒髪、赤ちゃんには何と蒙古斑があるそうです。
ウイーンからハンガリー平原を大型バスで移動。快適なバスの旅もこれで最後です。
ハンガリーの国境を越えたはじめての町並みがみえてきました。そこで私の座席の車窓から見たものは!まさかと目を疑いました。運転手さんはきっとここを早く通り過ぎたかったにちがいありません。彼はハンガリー人で、チェコのチェスキーから連続で運転してくれていて、やっと明日には自宅に戻れるらしいのです。
何を見たかというと「飾り窓の女」!!ほんとうにぎょっとしましたよ。思わず声をあげそうになりました。アムステルダムでは対岸からその窓を見たんですが。。。。次に見えて来た窓を落ち着いてよく見ると精巧な等身大のマネキンだったのです。それでもそういう家であることには間違い有りません。哀しいかなハンガリーのそのあとの印象と実態=仕事がなく貧しい国 これに象徴的にあらわれていると思いました。「国境の街」の哀しい現実でした。
*ドナウベント
ヨーロッパで2番目に長い大河、ドナウ川(2850km)が最も美しい姿を見せるといわれているドナウベント(ドナウの曲がり角の意味)ドナウ川はウイーンからスロバキアの首都ブラチスラヴァを経て東西に流れていますが、このあたりで南北にと方向を変えてハンガリー国内を横断しているのです。この風光明媚なこのドナウベント付近には別荘地が広がっています。
*エステルゴム
イシュトヴァーン国王が1000年にここに王宮と大聖堂を建設したハンガリー建国の地@ハンガリーカトリックの総本山@エステルゴム大聖堂のある町
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ランチをとったレストランは大聖堂の直下のれんが造りの元倉庫?
大聖堂の裏手からスロバキアが見えました。
もちろん川はドナウです。
*センテンドレ
14世紀から商業地として栄えた町。
その後オスマントルコの支配から逃れたセルビア人がこの町に定住して現在の町の形が出来上がった。
いまでもセルビア色が色濃く残る石畳の可愛らしい町並みでした。
町の教会の裏地からまたドナウ川が見えてうれしいでした。
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*ブダペスト
人口200万人 通貨 フォーリントン(1フォーリントン=0.6円)
宿泊したホテルはスパ付きがウリでした。何でもお試ししたいタチなので到着日と翌日と2回も利用しました。ロッカールームで水着着用が義務づけられていますが、雰囲気としては日本の浴場とプールをドッキングさせようなものです。
ハンガリーでは温泉治療は保険対象になるので健康維持&湯治として利用されているのです。
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翌日の午前中は色んなところをめまぐるしく巡りました。
大聖堂や教会をそれまでに数多く見て来たので、最終のブダペストのそれは余り記憶に留まっていないのが残念です。
ブダペストドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区には別れています。
*ブダ地区
「漁夫の砦」
(by 梅隆)
ドナウ川を挟んむペスト地区を臨む
有名なくさり橋の眺望が最高のスポット@ゲレルートの丘
この辺りでカメラの電池が切れたので自分のカメラで撮ることができませんでした(梅隆@深窓氏の画像もあります@サンキュー)
エリザベート皇妃の結婚式が行われた聖イシュトバン大聖堂
英雄広場@ハンガリー建国の武将像
正面の建物は国立西洋美術館
(by 梅隆)
(by 梅隆)
中心街は重厚な建物が整然と連なる都市計画が素晴らしい。
地下鉄はパリよりも早く完成@ヨーローッパ大陸では一番早かっただそうです。
「こちらが田舎のシャンデリゼ大通り〜」とのガイドさんの説明!
市街地は建築ラッシュでしたがこの逆角錐のビルにご一行の皆さん方は危ない〜!と注目されておりました。
地下鉄の入り口に歴史を感じます。
中はまたこんなアート系の内装。
ランチは最高の味でした。
大満足のパンの器スープに大はしゃぎの私と勝子さん。メインディッシュはハンガリーの家庭料理@ロールキャベツにしてみました。
クラシックないいレストランでした。ガイドブックで確認したところ、創業1858年という老舗でシシィが愛したお菓子部門も有名らしい。何よりもインテリアが舞踏会でも出来そうなほど重厚そのもの。お店の名は『ジェルボー』でした。
ブダペストのカフェ文化は19世紀末に始まる。特に晩年をここで過ごしたリストのリスト音楽院の周辺には好いカフェが軒を並べているらしいが行く時間がなかったのは残念でしたが、たまたま入ったこの『ジェルボー』はその代表格らしいので嬉しかったです。
プラハ国立歌劇場で[椿姫」をご一緒に見たナニワのタケ&カッツちゃんご夫妻からメールをいただきました。
「akeさまのBlogがとてもおもしろく毎晩妻と夢中になってつい全部見させていただき時間がかかってしまいました。akeさまのVitalityはさすが筋金入りですね。凄い!今回の旅ではいずれもすごく綺麗で風光明媚なところばかりでしたが、特に印象に残っているのは、 食べ物ではブダベストで昼食に食べたパンの器に入ったスープ(名前はわかりませんが)プラハではオペラ、ドレスデンではチョコレートを運ぶ女の絵画(ake さまとご一緒に見ました)。また深窓先生の素敵なハットをかぶったお姿はハリウッドから現れた渋い熟年スターそのもので絶賛ーーーー」
(最終日は民族音楽ディナーショーの夕食)
20年ぶり東欧の紳士とK氏とステップを踏むことができていい思い出になりました。
ハンガリー名物 牛肉入りスープ「グヤーシュ」
最後の夕食@皆さんと乾杯!
またブログ縁の彩の花様からもメールを頂戴しました。
「10年ほど前に「漁夫の砦」のレストランで、ドナウの真珠と言われる夜景を満喫しながら、ピリリとパプリカの効いたグャーシュをいただいたこと、そこでチャールダッシュの生演奏とダンスを堪能したことなどを思い出しました。
ところでダンスのステップはどの音楽だったのでしょうか?
動画はございませんの? 軽やかに楽しそうに踊ってらしゃるご様子、画像から想像できますが、ぜひミュージック付きのステップを拝見したいものです。お着物姿も素敵ですが、スラリとした容姿の洋服姿にも見惚れています」
ハンガリーで買うものといえば
何と言ってもここは貴腐ワインの『トカイ』でしょ!
日本には1、2、3、、4レベルまでしか入っていないそうなので、奮発してレベル5をワイン好きさん用に買いました!
ハンガリー手刺繍
クリスマス用オーナメント
フィンランドは木製、チェコは卵細工、ハンガリーのフェルト
さようなら!楽しかったわ〜!
2泊連泊での移動でしたので割りに疲れがなくて好い旅行でした。私たち以外はツアーメンバーは皆さん何度も団体で欧州旅行をされておりましたので、時間励行規律正しい大人の旅行にお伴することができました。添乗員さんも超ベテランだったので心強くかったです。ご一緒させていただきましたみなさまに厚く御礼申し上げます。
当初は団体旅行はどうかと案じていた私たちでしたが、ツアーを選べば満足な旅が出来ることがわかりましたので、また体力のあるうちに夫婦で出かけたいという気になれたのが何よりの成果です。リタイヤー後はこういう旅行が一番なんだろうな〜!と。
いままで散々自分たちで動き回って来たのでもうこれからは楽に行きたいと思いました。
いまウチの周辺には欧州からの観光客がたくさん入洛。私たちが苦労したユーロ高のおかげでドイツ圏それにハンガリーからの観光客もあり。何だかすぐに話しかけてしまってます。お互いに英語は母国語じゃない気楽さがあって!
8/4 記
*ウイーン
チェコ国境を越しても風景は相変わらず田園の農家の佇まいでしたが、オーストリアに入ると何となく豊かそうです。夕方にはウイーン市内へ入って行きました。
カールスプラッツ駅
ウイーンは私は2度目、夫は4度目?この都市を訪れるのが主目的ではなかったのですが、再訪がとても嬉しいウイーンです。市内に入ったところで夕食ということになりました。
今ヨーロッパでは白アスパラがいただけるのを楽しみにしていましたのに、添乗員さんに連れて行っていただいたレストランのそれはハズレでした。これなら缶詰のそれと変わりがない!!お値段はけっこう立派だったのですが。。。。
そして翌日、ウイーンの朝です。
今日は午後から自由行動あり。
ウイーンの町を華やいで歩きたいのでブライトなカラーで決めてみました。
午前中はシェーンブルン宮殿と市立公園がセットされていました。
以前訪れた時には時間がなかったので英語ガイドで短時間で見て回ったこの宮殿でしたが、今回はグランドツアーという一番いいツアーが付いておりましたのでゆっくり見て回ることができました。その一部が昨年京都でも展覧されましたが、エリザベート皇妃の部屋が興味深かった。
マヨルカハウス(車窓から)
シェーンブルン宮殿のグランドツアー(普通では入れない部屋も日本語ガイド付きで見学)のあとオペラ座前で解散となり自由行動に。私たちは前回行けなかったウイーン大学を目指しました。
1365年、ルドルフ4世によって創設されたヨーロッパ屈指の名門大学です。
歴史を感じさせる風格ある素晴らしい構内にうっとり。
教壇に立った教授の胸像の在る中庭。
派手な服装や変な学生は見受けられず品のいい学生や関係者が行き交う光景を見ているだけで飽きません。
ランチはここのブッフェで摂ることにしました。
静かで皆さん勉強と下準備中。
ピザ2枚とスープ2個を注文。ピザは1枚で充分な大きさでした。いっぱい残したので、サーブしてくれたおばさんが心配そうにしていたので「ツーマッチだ」と夫が独語で説明したら安心した様子。
細切りクレープ入りコンソメスープ@美味しかったですよ!
添乗員さんご推薦のシュテファン寺院の近くのお茶が美味しいという処にいてみました。
紅茶=チャイをいただきました。美味しかったアップルタルト。
またシュテファン寺院にも今回もいって見ました。出発前にブログ縁のSさまから
「木彫のマリア像があります。ヨーロッパ旅行中、大理石のスタチューや石造物を目にしていたせいでしょうか、木彫りのマリア像に出会ったとき、ほっと心がなごみ日本の仏像に出会ったような懐かしさと安堵感がありました」とのメールをいただきましたが、そのマリアさまを今回はちゃんと見て来ました。
前回はザッハーに寄りましたが、今回はライバルのデーメルに寄りました(笑)
ワイフは日本から持参したヘレンカミンスキー、ハズバンドはウイーンで買ったハットを早速被る。
国立オパラ座の今夜は、小沢征爾総監督復帰の『彷徨えるオランダ人』
ウイーン音楽祭の初日でした。
ウイーン市街地の地形は擂鉢状になっていて、中心部で乗ったはずの地下鉄もリンク付近で出れくれば、何と地上へ出てしまうのです。
ウイーンの都市計画は完璧でした。
パプスブルグ家の繁栄とともに人口500万人都市に見合う都市計画がなされました。
それで現在はほぼ150万人の市民でこの都市を使用しているのですから、都市機能にゆとりが在あり、ゆったり感はほぼ同じ人口の京都とは大違いです。
*チェスキー クルムロフ(チェコ)
位置:プラハから 約145キロ南に位置 するチェスキー・クルムロフはシュマワ山脈の北の山麓にあり、オーストリアとの国境から25キロのところにある。旧市街はほとんど完全に Vltava (ヴルタヴァ別名モルダウ)川に取り囲まれている。 ヴルタヴァ川はここからプラハへ流れている。
歴史:チェスキークルムロフの歴史は13世紀に始まった。旧市街の中世からの建物、それに加えて、町を蛇行しているヴルタヴァ川と山地という綺麗な景色に囲まれ、旧市街全体は1992年にユネスコの世界文化遺産になったのは、中世期からあまり戦略的な場所ではなかったので、お城と旧市街は現在まで無事に生き残ったからである。しかし、自然災害が問題だ。2002年には西チェコと東ドイツは大洪水に見舞われたが、ヴルタヴァ川は危険河川だとわかってきた。チェスキークルムロフの砂洲などの辺にある地区は大被害を被った。壊された家は早速修理されたらしいが、その痕跡がナマナマしく残っていた。
1人掛けでゆったりと座って快適な大型バスでボヘミア平原を走リ、一路チェスキーを目指しました。
NHK世界遺産の旅チェスキー クルムロフ取材の通訳をしたというオットーさんが私たちのツアーを担当してくれたました。はじめまして〜!
大阪弁を操る彼は関西からの観光客に人気らしい。
お城は1部屋ずつ鍵を開けて入室することになっていたが、何と彼は大阪城から持って帰って来た鍵を使ってます〜!!と言って笑わせていました。
旧市街にそそり立っている 塔の城。塔は元々ゴシック様式の塔は再建され、ルネサンス様式のものになった。外壁は飾りが多くて色彩(フレスコ画)が豊富だ。
チェスキークルムロフの旧市街をお城から眺めました。
橋を渡ると、お城の中庭に入ることができる。
ズーム!
大きい熊の檻があった!城内に熊の毛皮の大きな敷物があったことからも中世から飼われていたことがわかる。
城への通路
城内の中庭 フレスコ画の壁面
旧市街の中央には スヴォルノスティ広場がある。この青空、ボヘミアン!
街自体の範囲は小さいのでどこへも簡単に歩いていけます。それでも名所や可愛い店など見所が非常に多いので見学は数時間かかりました。
プラハへと続くヴルタヴァ川
雲一つないボヘミアの古都チェスキー・クルムロフの真っ青な空色!城や民家の朱色の屋根との鮮やかなコントラス!見事な無類の美の世界が広がっていたチェスキー!JTB のサイトでも「ヨーロッパで最も美しい街」の一つに称えられ、今やヨーロッパだけでなく、世界的に人気のある観光地となっているお勧めの街でした。と、言いつつ私自身は、この街に関して何の知識もないままにやって来たのですが。。。。
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昼食は旧市街の小さなレストラン。川かますの魚料理をいただいた。
こういう造りのレストランが欧州旅行のいいところ。歩き疲れて入るとホッとします。近くにはヴルタヴァ川が流れ、迷路のような石畳の裏道を通りました。
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